東京地方裁判所 昭和37年(タ)259号 判決 1965年3月31日
主文
原告を被告の子と認知する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、
一、原告の母土倉英子は日本人であり、被告は中華民国(台湾省)の国籍を有し、慶応義塾大学医学部を卒業し、現に病院を経営中である。
二、原告の母英子は、予ねてより、医師又は歯科医師の資格を得たいと希望し、昭和三五年六月頃、雑誌「医海時報」に学資援助者を求める広告を掲載したところ、被告は同年七月六日頃英子に対し援助を申し出て、毎月一万円宛の援助費を約した。ところが、被告は、同月一四日頃、突然英子に対し、援助者の権勢を濫用して、学費援助の代償として「被告の子を生む」ことを求め、これに応じないならば援助をやめる旨を述べたので、英子は医師志望を捨て切れず、遂に被告の要求を容れ、同月末頃から被告との肉体関係を持つたに至つた。
その後、被告は英子並びに英子の母に対し、出産をみた場合、その子の認知、扶養は勿論、英子の将来の生活を保障することを約したが、昭和三六年八月一六日英子が被告の子である原告を出産したところ、原告の名「真一」の命名は英子と協力して名づけながら、原告の認知届の作成には頑として応じなかつた。英子はやむなく同月二九日原告の出生届をなし、原告は現に戸籍上も父不明の子として登載されている。
三、英子はその後も、再三被告に対し原告の認知を求めたが、被告は昭和三六年一一月六日原告を引取り、爾来自己の子として養育してはいるが、なお原告の認知手続をなさない。
四、よつて原告は被告に対し認知を求めるため、本訴請求に及ぶものである。
と述べ、被告の、多数関係者の抗弁事実を否認し、更に、被告の、中華民国民法第一〇六五条適用の法律上の見解に対し、中華民国民法第一〇六五条により、被告が生父であり、且つ原告を子として養育している以上被告が原告を認知したものと看做されることは争わない。しかし、右の「認知されたことゝみなされる」ことは事実上の認知に過ぎないもので、認知請求の要件に過ぎない。蓋し、右の事実があつても戸籍上なんらの記載もなされないので、対世的には親族関係が認められず、被認知者には、改めて認知を求める利益と権限がある。よつて右第一〇六五条の要件を具備していることは本件認知請求の支障にはならない。
と述べた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
一、請求原因第一項主張の各事実は認める。
二、同第二項主張の事実中、英子が、原告主張の広告をなし、その主張の頃被告がその主張の援助を約したこと、英子と被告がその主張の頃から肉体関係を結んだこと、出産児を扶養することを約したこと、以上の点は認めるが、英子が医師又は歯科医師志望を持つていたとの点は不知、被告が権勢を濫用して英子と肉体関係を持つに至つたとの点は否認する。被告は妻との間に子供がないため、英子が出産した場合はこれを引取り養育することなどを話し合い、双方合意のうえ成立した関係である。
三、同第三項中、被告が原告を引取り、子として養育していることは認める。
と述べ、抗弁として、
原告の母英子は、昭和二四年四月訴外浜口昭男と婚姻し、翌二五年六月協議離婚をなし、昭和二八年頃からフィリツピン人某と同棲生活をなし、更に昭和三五年三月以降氏名不詳の他の男性と肉体関係を持つていたもので、被告が英子と肉体関係があるからといつて、原告は必しも被告の子とはいえない。
と述べ、更に、
仮りに被告が原告の血統上の父(生父)であるとすれば、被告は現に原告を引取り、子として養育しているのであるから、被告の本国法たる中華民国民法第一〇六五条により、既に原告を認知したものと看做れており、既に原被告間には親子関係が創設されている。のみならず、右の認知により原告は中華民国国籍を取得しているので、本件の準拠法は同国法のみによるべきであり、いずれにせよ原告の本請求は理由がない。
と述べた。
証拠(省略)
理由
その方式、趣旨から真正な公文書と認め得る甲第一号証と証人土倉キミエの証言、並びに原告法定代理人の尋問結果に徴すると、原告は昭和三六年八月一六日日本人である土倉英子の婚外子として誕生した子であり、現に戸籍手続上認知手続がなされていない者であることを認めることができる。
次に、弁論の全趣旨から各その成立を認め得る甲第二号証の一、二、同第三号証の一、二、証人土倉キミエの証言、原告法定代理人の尋問結果の一部及び被告本人尋問の結果の一部、並びに弁論の全趣旨に照せば、原告の母土倉英子は予ねてから歯科医師の資格を希望していたが、昭和三五年六月雑誌「医海時報」に医師志望者として学資援助者を求める広告を掲載したところ、肩書本籍を有し、肩書国籍を主張する被告は、妻との間に子がなかつたので、英子が既に医学生であるものと誤解し、自己の経営する病院の後継者にしてもよいと考え、これに応ずることゝしたこと、同年七月、被告は英子と面会し、英子がいまだ入学前のものであることを知つたが、その希望に好感をもち、一ケ月当り一万円の援助金を出すことを約したこと、しかし同月末頃被告は英子と肉体関係を持つことを求め始め、子供が生れた場合は、被告がこれを養育することを約し、英子もこれを承諾して、爾後、旅館等において右の関係を持つことゝなつたこと、昭和三五年一一月頃英子は妊娠し、翌三六年八月原告を出産したこと、一方被告は英子の妊娠を悦び、入院手続を取り、その費用も負担したこと、ところが被告は、出生した原告を妻の手前、渡米する友人の子と装つて、これを事実上の養子とする形をとり、妻の了解を得、届出は当初から被告夫婦の子として届出ることを計画していたのに、英子は被告が原告を認知して引取るものと考え、被告に認知を求め、更に英子の子として出生届をなしたので、その処置に窮し、更に英子が被告の遺産を窺つているなどの噂を聞いたり英子の他の男性との噂などを聞いたりしたため、いまだ原告の認知手続に応じていないこと、しかし被告は現に原告を引取り、子として扶養していること、以上を認めることができ、右認定に反する原告法定代理人尋問の結果部分、被告本人の尋問結果部分は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定諸事実並びに鑑定人三木敏行の鑑定結果に徴すれば、被告が英子に対し権勢を濫用して成姦したとの点は認め難いけれども後記被告の抗弁事実の認められない限り、被告は原告の血統上の父(生父)と認めるのが相当である。
そこで進んで、英子には他男との関係があるとの被告の抗争事実について判断するに、証人浜口昭男の証言によれば、なるほど、英子は昭和二二、三年頃浜口昭男と結婚し、四ケ月後には離婚の協議をして別居生活に入り、その別居後にフィリツピン人船員と肉体関係を持つたことがあつたことはこれを認めることができる。しかし、英子が、被告と肉体的交渉を持つた昭和三五年七月以降、他の男性と肉体的交渉があつたとの被告の主張は、被告本人尋問の結果を措いてはこれを認めるに足る証拠はなく、右尋問の結果も、単なる噂たるに過ぎず、右主張を肯認するに足る的確な資料とは認め難いところである。
そうとすれば、被告は原告の血統上の父(生父)であり、原告を子として養育しているものといわなければならない。
法例第一八条によれば、認知の要件は、父子について、それぞれの本国法によることになるところ、原告が日本人である英子の婚外子として出生したものであることは上段認定のとおりであるから日本国籍も有するものであり、仮りに被告主張のとおり中華民国民法に基き認知されているものと看做され、中華民国国籍を得たとしても、なお法例第二七条第一項但書により原告についての準拠法は日本法であるものと解すべく、日本民法によれば、原告は被告の血統上の子であることは上段判示の通りであるから、本訴認知を求める要件を具備しているものといわなければならない。次に被告が中華民国々籍を有するものと認めるべきことは上段認定のとおりである。そこで中華民国民法に照してみるに、同法第一〇六七条によれば、「生母が生父の権勢濫用により成姦した」時は生父に対し認知を求めることができる旨を規定している。本件においては、生父たる被告が生母たる英子に対し、権勢を濫用して姦したものと認めるべき証拠のないことは上段判示のとおりである。しかし、被告が原告の生父であり現に原告を子として養育していることは上段判示のとおりであるから、原告は中華民国民法第一〇六五条第一項後段により、被告によつて認知されたものと看做され、更に認知を求めるまでもなく、同国法の下では法律上の父子関係の存在が認められているものといわなければならない。そうすれば、法律上の父子関係を創設することゝなる本件裁判認知の要件としては、もはや被告の本国法に照しての認知要件の有無は判断の要はなく、原告に関してその本国法である我民法上裁判認知の要件を具備しているか否かについて判断をすれば足るものと解すべきである。
蓋し被告は、中華民国法によれば、原告は既に被告に認知されているものと看做れているから、再び認知を求めることは許されないと抗争するが、原告について適用すべき日本民法によれば、原告はいまだ被告に認知されたものとは認められておらず、日本民法に基いて更に父子関係の創設となるべき認知を求める必要があり、且つ、その要件を具備している場合は認知請求を許容し、父子関係が認められることゝなることこそ、中華民国法の趣旨に適合するものと解すべきである。
ところで、本件において原告の認知請求が、我が民法に照して理由があると認めるべきことは前示のとおりである。よつて被告の子としての認知を求める原告の本訴請求は結局理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。